教会学校

3月6日 教会学校

2022.02.27.

 教会学校は3月6日(日)まで「生徒が集わない礼拝(休校)」を継続いたします。教会学校の礼拝は9:00 牧師、教会学校長、教師が守りますので、皆さまはご自宅で「本日の聖書箇所」を開き、CS通信の「本日のお話」をお読みいただき、祈りを合わせてください。
3月13日(日)より二部制の礼拝に戻る予定です。
  幼稚科(第Ⅰ礼拝)    8:45から9:15
  小学科・JC(第Ⅱ礼拝)  9:20から9:50


  休校中の礼拝式次第  3月6日
さんびか  こどもさんびか119番(主にしたがうことは)
      讃美歌21-507番(主にしたがうことは)
お祈り
聖 書    マルコによる福音書14章32~42節
説 教    「ゲッセマネの祈り」渡邊義彦牧師
お祈り
献 金
頌 栄    こどもさんびか26(グロリア、グロリア、グロリア) 
祝 祷
 
 こどもさんびか119番(主にしたがうことは)

1.主にしたがうことは なんとうれしいこと。
 こころの空 晴れて光はてるよ。
 (くりかえし)
 主のあとにつづき ともに進もう。
 主のあとにつづき 歌って進もう。

2.主にしたがうことは なんという幸せ。
 悪い思い 消えて 心はすむよ。
 (くりかえし)

3.主にしたがうことは なんと心強い。
 おそれのかげ 消えて 力はますよ。
 (くりかえし)


●3月6日「ゲッセマネの祈り」
 マルコによる福音書:14章32~42節
中心(ちゅうしん)聖句(せいく):36節【こう言(い)われた。「アッバ、父(ちち)よ、あなたは何(なん)でもおできになります。この杯(さかずき)をわたしから取(と)りのけてください。しかし、わたしが願(ねが)うことではなく、御心(みこころ)に適(かな)うことが行(おこな)われますように。」(新92ページ)】

 イエスさまがヨハネから洗礼(せんれい)を受(う)け、神さまのお心を人々(ひとびと)に伝(つた)えていらしたのは3年間ほどでした。イエスさまは心に苦しみを持っている人に寄(よ)り添(そ)い、病気(びょうき)の人をなおしてあげ、神さまがどれほど私(わたし)たちが自分の罪(つみ)に気(き)がついて、神さまの所(ところ)にもどってほしいと願(ねが)っているかを、本当(ほんとう)にお休みになる暇(ひま)もなく人々に伝え続けてくださいました。
それなのに一番イエスさまの近くにいた弟子たちでもご自分を捨(す)てて逃(に)げてしまうだろうということを「わたしは羊飼(ひつじか)いを打(う)つ。すると、羊は散(ち)ってしまう」という旧約(きゅうやく)聖書(せいしょ)の言葉を通(とお)してちゃんと知っていらっしゃいました。
 3年間神さまのお心の通(とお)りに、人々に仕(つか)えていらっしゃった。それなのに今この人々の罪(つみ)をすっかり自分が引(ひ)き受(う)けて、神さまの罰(ばつ)を受けなければならないのです。それが「わたしは死(し)ぬばかりに悲(かな)しい」というこのお言葉(ことば)の中にあふれています。弟子(でし)たちにもいっしょに祈(いの)ってほしいと思われたのでしょう。でも今イエスさまは本当(ほんとう)に独(ひと)りぼっちでした。
 イエスさまは地面(じめん)にひれ伏(ふ)して「できることなら、この苦(くる)しみの時が自分から過(す)ぎ去(さ)るように」と祈(いの)りに祈られたのです。でも、イエスさまが何のために、この人間(にんげん)の世界(せかい)に、人の形(かたち)をとって、神さまから遣(つか)わされていたのかを思(おも)わないわけにいきませんでした。そして最後(さいご)「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯(さかずき)をわたしから取(と)りのけてください。」こう祈って、イエスさまははっきりこの願(ねが)いは悪魔(あくま)のささやきだとお思いになったのです。そしてこう続(つづ)けられました、「しかし、わたしが願(ねが)うことではなく、御心(みこころ)に適(かな)うことが行(おこな)われますように。」とただ一人、苦しみながら決心(けっしん)なさったのです。その間(あいだ)の弟子(でし)たちは、なんとすっかり眠(ねむ)り込(こ)んでしまっていたのです。