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牧師 渡邊義彦 

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2021年08月

8月巻頭言


 イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。
            (新共同訳聖書・ヘブライ人への手紙第13章8節)

 オリンピック競技の放送で、会場ではなくスタジオでの出演者が「どこか外国でやっている競技のようですね」とコメントしていました。妙に当を得た解説だなと思いました。非日常的な競技会場の映像がそう思わせたのかもしれませんし、選手たちの想像を絶するパフォーマンスと、これをまた、わたしたちの肉眼が見る視点とは全く違った映像で切り取る技術がそう錯覚させたのかもしれません。ほんの数キロ先で行われていることなのに、どこか異国で行われているお祭りのように思える、とは正直な思いなのだと感じました。選手たちと同じ暑さや熱を、風や空気を感ずることの乏しいオリンピックに余計にそう思えてしまうのかもしれません。
 時間と空間は、わたしたちが生きていく上でどうしても拘束されることであり、わたしたちはこの拘束から自由になることはできません。時間は、真夜中の金メダル確定のないオリンピックで寝不足にならずに結構ですが、制限をされてしまった空間は如何ともしがたいのです。時空を飛び越えて自由に行き来する技術も能力も、わたしたちはまだ手にしていません。それだけに、超人的な訓練を積んできた同じ人間である選手たちが鍛え抜かれた身体と精神をもって、時間と空間を超越しようと限界に挑む姿に、わたしたちはいっそうの驚きと感動を覚えるのかもしれません。
 時間と空間を超えて耐えるということを思います。悠久として変わらない自然や歴史を刻んだ古い建造物がそうでしょう。古い工芸品や芸術、音楽があります。いつの時代にもどこに行こうとも重んじられ変わらない良心や価値観があると思います。そして、これら文化、芸術、社会、歴史を文字として残してきた、時代の変遷に耐えて伝えられてきた古典があります。古典の中でも、聖書という二千年、三千年前に書かれた文書が、今を生きるわたしたちの命の糧となっていることに驚くのです。聖書が書かれた時代とも、書かれた世界ともはるかに隔たった今の日本に暮していながら、この古代の言葉が決して古びず、生き生きとした言葉で聞かれることに感動を覚えるのです。実に不思議なことです。時空を超えて、時空を耐えて語られる言葉があるという驚きです。
 時間も空間さえも超えたところにある永遠への憧れがあります。文字も廃れ、身体も失われ、どのように偉大な芸術も建造物も、どのように強大な国家も過ぎ去ったとしても最後に残るものへの憧れです。それをわたしたちはまだ漠然としてしか思い描けていませんが、聖書は、キリストが永遠でいてくださると告げてくれています。キリストが永遠にわたしたちの救いでいてくださると告げてくれています。キリストがわたしたちの憧れであり、すべての慰めです。永遠の慰めを、救いを、御言葉によって忘れずに思い起こし、魂に刻み続けることのできる幸いを思うのです。

日本基督教団 柿ノ木坂教会