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牧師 渡邊義彦 

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2018年07月

7月巻頭言

   このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。
     (新共同訳聖書・マタイによる福音書第20章16節)

 前評判の低かった国が大国を下したり、小さな国が決勝に絡んだりと一喜一憂のひと月でした。
 子供たちの成長を見ていると、特に幼稚園の頃から小学校3年生ぐらいまででしょうか、月齢がずいぶんと影響しているように思います。同じ学年、同じクラスに4月生まれの子もいれば、翌年の3月生まれの子もいます。学年は同じでも月齢では1年近くの違いがあるのです。赤ちゃんのときを考えてみると、4月に生まれた子が歩くか歩かないかというときに、3月生まれの子はやっとお母さんのお腹から出てくるのです。この差は大きいです。
 月齢差のある子供たちが同じクラスになるので違いがいっそう顕著になるのかもしれませんが、このように同時的に見渡すのではなくても、定点観測のようにして見ても、我が家の子供たちであれば、4月生まれの子と、2月生まれの子では同じ学年を迎えてもずいぶんと違うなと思わされました。もちろん本人たちの性格や性別の違いもあったでしょうが、しかし、同学年という通過点でずいぶん成長の違いを感じました。
 ところが、この月齢差による違いは10歳ぐらいを境にだんだんなくなってしまうように思えます。皆が肩を並べはじめます。小学1年生だったとき6年生はすごく大きく見えました。しかし今となっては、歳の差、月齢差などどこへやら、6歳年上も、年下も同世代で括られています。
 スポーツや子供たちの成長だけでなく、わたしたちの日常には、後ろを走っていた者が、いつの間にか肩を並べて、そして、ついにはトップに立っているということにしばしば出くわします。先に引いた主イエスの言葉は、そのようなわたしたちが日常出会うこともある成長モデル、逆転モデルのことを言っているかのようにも思われます。弱小チームがトップに躍り出たり、赤ちゃん、幼児みたいだった子がいつの間にか少年、少女になっていたりすることのように。
 しかし、主イエスのこの言葉が、不思議なぶどう園の主人と雇われた労働者たちの話の結びとして言われていること、そして、この話が天の国の譬えであると語り出されていることを考えると、単純な逆転・成功モデルのことではないとに気付かされます(ぜひ、聖書を開いて、この箇所を読んでみてください)。
 先の者も後の者も、だれもが等しく、ぶどう園で、主人から報酬をもらっています。もらう報酬は決して労働の対価とは言えません。多くもなく少なくもなく、主人と約束したとおりの額を皆がもらいます。天の国とは労働の対価として勝ち取るのではないこと、我がちに手に入れようとも手に入るものではないことを、この譬えは語ろうとしています。
 小さな国のチームも、前評判の低かったチームもただ運だけでその順位ににたどり着いたのではありません。そこには血の滲むような努力があり、成長があり、考え抜かれた戦略があったはずです。しかし、どんな努力も、成長も、どれほど考え抜かれた戦略も勝ち取ることができないのが天の国です。なぜなら、天の国は、主なる神が支配なさることであって、わたしたちの努力や成長、戦略によって自由になるものではないからです。神は自由に、後の者にも、先の者にも、等しく恵みをくださいます。神の御支配の内に生きることは最も幸いなことです。自由なことです。世が決して与えることのできない、神の不思議さ、恵み深さを聴きに、あなたもぜひ教会に来てみてください。

日本基督教団 柿ノ木坂教会