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牧師 渡邊義彦 

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2018年11月

11月巻頭言

   息子は言った。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに
   対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。」
          (新共同訳聖書・ルカによる福音書第15章21節)
 
 主イエスがお語りなった放蕩息子の譬えを幼稚園の礼拝で子供たちに話していて、家を出て行くときこの息子は家に残るお父さんに「行ってきます」と言って出て行ったのだろうか、と考えました。おそらく、彼は、もうこの家に帰ることはないと、手にしたお金に心奪われて、そして、これからの過ごすことになると思い描いている薔薇色の将来だけを思って家を出て行ったのでしょう。家に残る父への思いなど一つも残さずに。だから、おそらく「行ってきます」などと言うことは思い付きもしなかったのではないか、と思います。
 では、父の家に帰るとき「ただいま」と果たして言えたのだろうか、とも考えます。放蕩の限りを尽して、父からわけてもらった財産をすべて使い果たして、父の怒りを買うのではないかと恐れつつ、しかし自分の帰るところは父の家しかないと戻って来た彼は、元気に「ただいま」などと到底言い得なかったでしょう。父に申し開きする言葉と、赦しを請う言葉で心はいっぱいだったはずです。もう息子とは呼ばれる資格はないと。
 洗礼を受けて間もないころ、まだまだ大人の食べる御言葉が固くて十分に消化できなかったとき、よく教会学校の礼拝に出席していました。子供向けに教会学校の先生たちが語ってくれる御言葉は、まるでお粥のようにお腹に優しかったです。子供たちへの説教の中で、牧師が「日曜日の朝、教会に来たら、ただいまと挨拶するのですよ。そして、礼拝終わって家に帰るときは、行ってきますと言うのです」と語りました。なるほどなと思いました。父の家、神の家としての教会が、わたしたちの生活の中心なのだと実感する言葉でした。
 わたしたちは人生の日々の中で、あの放蕩息子のような砕かれた思いを持って、教会へと帰る日々を送り、また家庭へと、学舎、職場へと、社会に、世界に出て行く日々を過ごします。そして地上の人生の終わりには、最後のただいまを言う本当の故郷へと帰るのでしょう。「わたしたちの本国は天にあります」(フィリピ3:20)。父の家へと帰る日のため、砕かれた、柔らかな、健全な霊を、魂をこの地上の日々の中で備えられたい、と願います。

日本基督教団 柿ノ木坂教会