教会学校

2月20日 教会学校

2022.02.12.

 教会学校は2月27日(日)まで「生徒が集わない礼拝(休校)」を継続いたします。教会学校の礼拝は9:00 牧師、教会学校長、教師が守りますので、皆さまはご自宅で「本日の聖書箇所」を開き、CS通信の「本日のお話」をお読みいただき、祈りを合わせてください。
尚再開についてはホームページでお知らせいたします。

 休校中の礼拝式次第  2月20日
さんびか  こどもさんびか114番(やさしいめが)
          (讃美歌21-470番)
お祈り
聖 書    マルコによる福音書14章3~9節
説 教    「ナルドの香油」渡邊義彦牧師
お祈り
献 金
頌 栄    こどもさんびか26(グロリア、グロリア、グロリア) 
祝 祷
 
 
こどもさんびか114番(やさしいめが) (讃美歌21-470番)

1.やさしい目が、きよらかな目が、
きょうもわたしを 見ていてくださる。
「まっすぐに あるきなさい」と
見ていてくださる。

2.大きな手が、 あたたかい手が、
きょうもわたしを ささえてくださる。
「はなれずに あるきなさい」と
ささえてくださる。

3.かぎりのない ひろい心が
きょうもわたしを 守ってくださる。
「やすらかに あるきなさい」と
守ってくださる。

●2月20日「ナルドの香油(こうゆ)」
マルコによる福音書:14章3~9節
中心聖句:3節【イエスがベタニアで重(おも)い皮膚(ひふ)病(びょう)の人シモンの家(いえ)にいて、食事(しょくじ)の席(せき)に着(つ)いておられたとき、一人(ひとり)の女(おんな)が、純粋(じゅんすい)で非常(ひじょう)に高(こう)価(か)なナルドの香油(こうゆ)の入(はい)った石膏(せっこう)の壺(つぼ)を持(も)って来(き)て、それを壊(こわ)し、香油(こうゆ)をイエスの頭(あたま)に注(そそ)ぎかけた。(新90ページ)】

 今日はべタニアでのお話です。べタニアはエエルサレムに近(ちか)い美(うつく)しい村(むら)で、ラザロとその姉妹(しまい)マリアとマルタの家のあったところです。聖書(せいしょ)地図(ちず)6で確(たし)かめましょう。
 イエスさまは「重(おも)い皮膚病(ひふびょう)」にかかったシモンという人のところでいっしょにご飯(はん)を食べていらしたと書き始(はじ)めます。前にも礼拝で聞いたように、こういう病気(びょうき)にかかっている人は「汚(けが)れた人」だというので、みんなから仲間(なかま)はずれにされていました。イエスさまはこういう人ともご飯を食べるほどに、寂(さび)しい人たちに寄(よ)り添(そ)っていてくださったのです。
するとその食事中(しょくじちゅう)、一人の女の人がやってきました。聖書に書いてあることを細(こま)かく説明(せつめい)している本によると、それはマグダラのマリアだったとありました。この人はとても大きな罪(つみ)を犯(おか)した人でした。だからこそイエスさまに近(ちか)づいて行きたかったのでしょう。で、この女の人が「純粋(じゅんすい)で非常(ひじょう)に高価(こうか)なナルドの香油(こうゆ)の入(はい)った石膏(せっこう)の壺(つぼ)を持(も)って来(き)て、それを壊(こわ)し、香油(こうゆ)をイエスの頭(あたま)に注(そそ)ぎかけた」というのです。それは「とてもお金(かね)のかかる香油(こうゆ)」だったので、お弟子さんの一人が、「ああもったいない」と思ったのでしょう。「なぜ、こんなに高い香油を無駄遣(むだづか)いしたのか。この香油は三百(さんびゃく)デナリオン以上(いじょう)に売(う)って、貧(まず)しい人々(ひとびと)に施(ほどこ)すことができたのに。」とつぶやきました。たしかに一(ひと)瓶壊(びんこわ)してイエスさまに振(ふ)りかけるなんて普通(ふつう)ではありません。
でもイエスさまはこうおっしゃるのです、「貧(まず)しい人はいつもあなたがたの周(まわ)りにいるでしょ。だからあなた方はいつでもその人たちを助(たす)けることができます。でもわたしはそうじゃない。」イエスさまは間もなくこれらの弟子(でし)たちからも別(わか)れる時(とき)が近(ちか)づいていること知(し)っていらっしゃいました。それでこうお続(つづ)けになったのです、「この人(ひと)はわたしに精(せい)いっぱいのことをしてくれたのだよ。前(まえ)もってわたしの体(からだ)に香油(こうゆ)を注(そそ)ぎ、埋葬(まいそう)の準備(じゅんび)をしてくれたのです。はっきり言(い)っておきましょう。世界中(せかいじゅう)どこでも、福音(ふくいん)が宣(の)べ伝(つた)えられる所(ところ)では、この人(ひと)のしたことも記念(きねん)として語(かた)り伝(つた)えられるでしょう」って。
それでマルコはこのことをしっかり書(か)き残(のこ)してくれたのです。
讃美歌(さんびか)21の567番にもこのことが歌(うた)われています。